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てのひら御朱印帳/定価¥1,500

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カラー···ホワイト&レッド 紙のサイズ···その他 セット数···単品 ノート/メモ帳の種類···その他 <サイズ>約11.3×1.2×16cm(中紙サイズ/約11×15.8cm) <材質> 表裏表紙→紙製。共にエンボス加工・金箔押し加工 中身→ジャバラ加工。奉書紙2枚重ね48ページ ※注意 袋は撮影の為一度開封しています

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2022年8月21日 (日)

ザロモン・マイモンの微分哲学〈ザロモン・マイモンを読む4〉

マイモン「超越論的哲学についての試論」第2章を読む。

ドゥルーズ「差異と反復」4章でも扱われているマイモンの微分哲学について、

マイモンが、世界を正しく認知するには、カントの哲学を「微分」によって補強せねばならないとしたわけを考察する。

 

 今日の読みと考察の手順

1.権利問題とは何か

2.異なる単一性

3.感性的表象とは何か

4.単一性とは何か

5.通約不可能(共約不可能)とは

6.微分とは何か

7.接線影と微分の多様性

8.今日のまとめ

9.発展的問いとして他者や私のクオリア


権利問題とは何か

ザロモン・マイモン(1753~1800)はカント(1724~1804)の「権利問題」を解決するためにはそこに微分の考え方を持ち込む必要があると考えた。
「権利問題」とは、(それは簡略化しすぎというお叱りを恐れずに言うと)「人はアポステリオリな質料の内容をいかにしてアプリオリな悟性の形式に一致すると前提することができるのか」という問いである。世界そのものを客体として受け止めるには、それをいかなる固定観念にも影響されないような経験によって完全なアポステリオリなものとして受け入れなければならないが、同時に、それを受けとめる側の主体がいかなる経験からも独立して純粋な分析ができるようなものとしなければ分析の意味を正確には掴むことができない。この矛盾は、まさにギリシア哲学以来連綿と問われ続けてきた「普遍論争」が挑んできた矛盾を問う問題に他ならず、哲学の根本的な問いだと言えるだろう。




異なる単一性

マイモンはこの権利問題には数学における無限問題が孕む謎と同じような謎があるとし、そこに微分のアイデアを持ち込む必要があると考えた。
マイモンは次のように言う。
「感性的諸表象それ自体はその微分と同様に、絶対的な単一性でも単なる恣意的な単一性でもなく、規定された単一性である。・・・しかし人は任意の単一性を異なる客体においては異なるものと取らねばならない。なぜならさもないとすべての諸物が一つのまさに同じものとなってしまうからである。そしてそれらの相違はその量のうちだけにあるとは誰も認めないだろう。しかし異なる単一性が存在し得ることは数学からも見て取れる。というのも通約不可能な量は、また同様に微分も必然的に異なる単一性を前提としているからである。」(「試論」2章原書p29注部分、訳書p114)
今日はこの部分を課題文として読み解きたいと思う。まあ何ともひどく読みにくい難文であるが、ここにマイモンが微分を必要としたわけを示す哲学考察がある。
最初の「感性的諸表象それ自体はその微分と同様に、絶対的な単一性でも単なる恣意的な単一性でもなく、規定された単一性である」という一文からして、僕にはかなり意味が取りにくいのだけど、「感性的表象」「微分」「単一性」の3つをキーワードとして意味を確かめていくと何を言おうとしているのかがだんだん掴めてきた。それぞれ順に確かめてみよう。


「感性的表象」とは何か

「感性」とは、我々が世界の内容である直観をすくい取るために、カントが考案した認識システムの第一番目のものである。マイモンによると、直観には2つある。表象となって意識の対象となる以前の、真に何の単一性も数多性もない、まるでカオスでしかないような「アポステリオリな直観」と、感性によってアプリオリな空間時間の形式にあてはめられて単一性や数多性を持ち得るようになった「アプリオリな直観」である。カオスであるところの「アポステリオリな直観」は世界のまさに不可思議でしかないものであるが、ここでマイモンが「感性的表象」と言ってるのは、我々が認識対象とできる「アプリオリな直観」としての「表象」の方である。だから僕はここで言われていることを、「アポステリオリな直観」が不可思議で捉えられないものであるのは当然であるが、「アプリオリな直観」でさえ捕えどころのない多様なものから構成されていることを見落としてはならない、ということだと考えている。


「単一性」とは何か

2つ目のキーワード「微分」はちょっと措いておいて先に3つめのキーワード「単一性」について見ていこう。
太閤検地では升と物差しが全国統一された

例えば、水の量を量るには基準となる「升」がないと数値化することができず量的な分析ができない。何かの対象を何者かとして認識するためには何らかの分析が必要であり、そこにはそれを某かの量として測る作業が必要になってくる(ここでいう「量」は長さや体積・重さなどものの大きさとしての量だけを指すものではない。ありとあらゆる分析のための数化を可能にするものとしての「量」である)。その分析作業の必須要素としての、同一のスケールでもって測れる基準があることがここで言う「単一性」である。ただしここで、ややこしいのだけど、「単一性」の反対語である「数多性」という語には2つの意味がある。すなわち、「升」で何杯量れるかという「複数性」の意味として用いられることと、そもそもその「升」の種類が一つには定まっていなくていくつもあるという「複数性」の意味で用いられることもある。だから、その二つの「数多性」に対する語として、「単一性」には「升」が「一種類しかない」という点に重点が置かれるときと、「一杯しかない」という点に重点が置かれるときがあるので、注意が必要である。

ちなみに、マイモンは、「クワントゥム(quantum・外延量)」と「クワンティタス(quantitas・内包量)という2種類の量の把握の仕方でもって量を捉えようとしているが、「クワントゥム」のことを「大きさとしての量」であり「単一性としての数多性」であるとし、「クワンティタス」のことを「分量としての量」であり「数多性としての単一性」だと言っている。(この「クワントゥム」と「クワンティタス」については別ページで詳しく取り扱いたい。)

 


通約不可能(共約不可能)とは

マイモンが「通約不可能な量は・・・必然的に異なる単一性を前提としている」と言っているときの「通約不可能」というのは「共約不可能」とも言い、次の意味の語である。
【共約不可能性】「元来は、1と√2の比のように、いかなる整数比によっても表現できない量的関係を表す数学用語で、『共通の物指しで測れないこと』を意味する」(コトバンク「日本大百科全書」より)
元々は、√2のような無理数はいかなる分子分母を持ってこようと絶対に分数で表すことができないのだから、無理数と有理数では共通の物差しを持つことができないということを表すものであった。そして、マイモンの時代よりずっと後にトーマス・クーン(1922~1996)が「パラダイム論」において科学の革命ではそのすべてがフルモデルチェンジしなければ乗り越えられないような断絶があることを示すのに使用された言葉でもある。

マイモンはクーンの論をもちろん知らないのだが、ある意味で似たような意味で「通約不可能」を用いていると言えるのではないか。マイモンは我々の感性的表象が無理数の共約不可能性にも似た様々な多様性を持っていて、それらは互いに同じ一つのスケールを共有することができないためにまったく変換不可能な存在だとするのだ。


「微分」とは何か

さてそして、マイモンの言う「微分」とは、正しくライプニッツやニュートンによって発見発明された数学の「微分」である。しかし、マイモンはそこにその数学的手続きよりも哲学的な意味づけを重視して考えたので、若干、一般的な数学用語としての「微分」とはズレがあるかもしれない。(それゆえ、そのことがドゥルーズの言う「微分」も正しく数学用語の「微分」でありながら若干意味合いのズレが生じている状況に影響を及ばしていると思われる。)マイモンの「微分」は「dx/dy」を指すものではなく(マイモンはそれを「微分の関係」と呼ぶ)、「dx」を指すものであり、「dx=0」であると言う(マイモンは「0」だと言っているがそれは現代数学で言うところの「無限小」に当たるものだと思われる)。
そのような意図で、マイモンは、この「微分」でもって「dxにおける無限小の到達不可能さ」を問おうとしていると僕には思われて仕方がない。微分法でもってΔxをどんどん小さくしていってその無限の果てにdxがあると考えるのだけれど、その無限の果てにまで我々は到達することができない。近似を求めるための計算方法であるとともに、その到達不可能性を考えるためのアイテムなのではないか、と。


接線影と微分の多様性

たとえば、数学は一般に、曲線の接線方向を「微分」で求め得るとする。マイモンにおいてももちろんそれは可能なのだが、厳密に無限の果てを考えるのであればそれは完全に不可能な作業でもある。なぜかというと、曲線の接線を考えるその1点への極限をどこまでも求め続けることはできるが、微分の無限の「果て」を極限値において限定させることができるとしてしまっては矛盾となるからだ。これについてマイモンは次のように言う。
「例えば、人があらゆる曲線について『接線影:y=dx:dyゆえに接線影=ydx/dy』だと主張する場合これはいかなる構成においても精確には正しくない。なぜならこの関係によって表現されるのは接線影ではなく他の線だからである。人がΔx:Δyをdx:dyとしないようなところ、すなわち直観においてのみ考え得るようなこの関係を直観の要素に関連づけないところでは、接線影は表現され得ない」(同p35)
【接線影】とは、微分可能な曲線C上の点Pにおける接線とx軸との交点をTとし、Pよりx軸に下ろした垂線の足をMとしたときの線分TMのこと。である


実際に微分の計算をすればTMの長さはydx/dyで求められる。だからマイモンがこれを正しくないというのは一般的な微分計算の捉え方とは異なるものがある。マイモンはなぜこれを正しくないと言ったのかと言うと、その答えは「人がΔx:Δyをdx:dyとしないようなところ、すなわち直観においてのみ考え得るようなこの関係を直観の要素に関連づけないところ」にあるのだろう。つまり、Δx:Δyを0値に無限に近づけていった無限の果ては、我々の数学の範疇には収まらない。そして我々はその不可能性を認識した上でなければこれを分析することはできない。現代数学において我々がやっている微分計算では、便宜上、εδ法でもって無限の果てを無視することによって、「とりあえず」の値を求めているにすぎないのだが、マイモンはそのεδ法によって乗り越えられてしまった無限の果ての問題にこそ微分の哲学的問題があると注目しているのではないか。数学の範疇に収まらないその向こう側に、世界が認識される以前の多様性があることを、決して見失わないようにせねばならないと考えたのがマイモンの無限哲学の本質であろう。


今日のまとめ

形式化される以前のアポステリオリな直観には、直観の要素同士として関係することができないとされるような、何者でもないような多様さがある。それがマイモンの言う「人がΔx:Δyをdx:dyとしないようなところ、すなわち直観においてのみ考え得るようなこの関係を直観の要素に関連づけないところ」なのではないだろうか。そして、それゆえマイモンは、その多様なところでは接線影は表現され得ず、感性の内容は原初において何者にもなり得ないものとしたのではないか。

すべてのアポステリオリな直観は、やがて形式に当てはめられて分析可能なものとされる。つまり多様なものは或る1種類の単一性によって規定され、我々が認知できる表象となってゆくのであるが、それでもやはりそれは、異なる客体において異なるものとなり得るような多様さを孕んだままのものとしての単一性でしかないことを忘れてはならない。このようなことを心に思ってマイモンは、「絶対的な単一性でも単なる恣意的な単一性でもなく、規定された単一性である」としたのであろうし、「人は任意の単一性を異なる客体においては異なるものと取らねばならない。なぜならさもないとすべての諸物が一つのまさに同じものとなってしまうから」と言ったのだと考えられるだろう。

以上の「感性的表象」「単一性」「微分」の3つのキーワードについての考察をまとめると、マイモンが世界を正しく分析するには微分の哲学が必要だとしたわけは、次のようにまとめられるだろう。すなわち、

無限の果てのような訳の分からない多様さが世界には元々孕まれていること、そこに注目したまま世界を分析するには、カントの説くタイプの単純な超越論的な「転回」では不十分だと考え、そこに「微分」のアイデアを持ち込む必要があると考えた。

(と言い切ってしまう笑)

 発展的な問いとして他者や私のクオリア

もしかすると。訳が分からないがしかし見失ってはいけないというその「多様性」というものは、他者のクオリアが、私の知覚するそれと比較しようのないことに似ているかもしれない。クーンでさえ「パラダイム論」にクオリアが関係するなんてことは言っていないが、僕にはそう思われて仕方がない。他者のクオリアも、微分における無限の果ての、我々が表象し認識する以前の、いかなる言語分析にもいかなる形式にも当てはまらないままのカオスであるような、まさに何者でもない多様なものだと考えているのであろう。それがマイモンの言う「アポステリオリな直観の多様性」なのではないか。つまり、マイモンの問う「微分」とは、決して到達できない無限小の果てが実在するとし、その果てにおいて、カントの「超越論的感性論」と「超越論的分析論」とがはじめて交差できるのだとするアイデアであり、それはあらゆる多様性を包括してしまうような奇跡がその無限の彼方にすでに実在しているのだとするアイデアだとも言えるのではないか。その「あらゆる多様性」と言うのは、他者のクオリアさえも包括してしまうほどの「あらゆる多様性」を指すものだと言えるのではないか。

そう考えると、この考察はさらに、「形式化される以前の直観の訳の分からなさ」なるものは「他者」のクオリアの訳の分からなさに留まるものではないという話に繋がるだろう。そしてそれは、「私自身」のクオリアがすでに何者でもなくまったく訳の分からないような多様体であることを示すものであり、私自身が決して到達不可能な存在であることを示すのではないか。

 

マイモンはそこで「dx」という無限小こそが「叡智体ヌーメノン(ヌーメナ)」であり「イデア」であるとし、微分でもって世界を分析する方法を考え説明しているのだが、具体的なそのシステムについてはまた明日。


つづく

「超越論的哲学についての試論」は、現在邦訳書籍はないが新潟大学の平川訳が以下で公開されているのが無料で読める
https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/records/29483#.YGh1VM9xe00 

<ザロモン・マイモンを読む>

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